龍の系譜 PHASE1

CREW EDGE

龍の系譜





 鉄羊騎士隊の天幕の中。
 苦しげな息を吐くミュゼルワールが毛布を広げただけの地面に横たえられ、従軍看護士の治療を受けている。
 治療、とはいっても、それが効力を持つとはとても思えなかった──────何しろ原因が不明なのだ。薬草を絞った汁を混ぜ合わせる看護士に、ラジュリーズが声をかける。
「どうだ、………何か少しでも分かる事はないか?」
 看護士はゆっくりと首を振った。
「どうやら複合的な呪術にかけられているようですが、詳しい事までは………。」
「複合的?」
「えぇ、例えるなら、呪詛や悪疫、あとは魅了や猛毒などにいっぺんにかかったような──────しかし、解呪の魔法が全く効きません。我々が知っているどの症状とも異なるようです。」
「…そうか…。」
 ラジュリーズが拳を唇に当てた時、後ろから誰かが肩をつついた。
 振り返るとレオノアーヌが立っていた。
「おっかねぇ隊長があっちでダンナを呼んでんぜ。」
「あぁ、─────今行く」
 二人、肩を並べ、ロンジェルツの待つ別の天幕へと向かう。
「しかし、すっかり忘れてたが、あの騒ぎでもオーク共が襲ってこなかったのは、あいつらが蹴散らしてたせいだったんだな。………」
 レオノアーヌの言葉に、ラジュリーズは頷いた。
「だろうな。」
 天幕の入口をくぐると、簡素な木の椅子に座り部下の報告に耳を傾けていたロンジェルツが、二人を見て立ち上がり、身振りで部下達を天幕の外に追い出した。
「人払い感謝する。ロンジェルツ殿」
 ラジュリーズがうやうやしく頭を下げると、ロンジェルツは禿鷲のような鋭い眼光をラジュリーズに向けた。
「鉄鷹騎士隊長ラジュリーズ卿か………。このような所で、配下の者も連れずに何をしておられる?」
「配下の者ならここに。多少移り気で、心許ない者ではありますが」
「配下ってなんだよ。俺はダンナの部下になった覚えはねぇぜ。」
「この者優秀なれど少々口が悪いのが玉にキズでして………」
 ラジュリーズが芝居がかった態度でレオノアーヌを示すと、ロンジェルツはまるで初めて視界に入ったとでもいわんばかりに、レオノアーヌの姿をじろりと一瞥した。


「フン、その野良犬の顔には見覚えがあるぞ。」
 ロンジェルツは吐き捨てるように言った。
「先の防衛戦では我が軍下で禄を食んでおったようだが…、ろくに作戦会議にも参加せず、軍紀を乱してばかりいたクズ傭兵だな。」
 ロンジェルツの言葉に、レオノアーヌはぐいと顎を突き出した。
「いいじゃねえかよ。ランペール門の迎撃戦で敵の将を屠ったのはこの俺だぜ?」
「痴れ者め、戦は剣技大会ではないわ!! 個の武勇を取沙汰するなど論外、大局こそが重要と知れ!!!」
 ビリビリと空気を震わせてロンジェルツが一喝した時、入口の垂れ幕がわずかに持ち上がり、
「…ロンジェルツ隊長。少々お耳に入れたき事が」
 幕内での剣幕に押されたか、外で待機する部下の一人が遠慮がちに声をかけた。
「何だ」
 ロンジェルツが向こうを向いた隙に、レオノアーヌが思いっきり舌を出しあかんべをしてみせる。
「おま……、相手は王国大騎士だぞ、ちったぁ自重し………ぶふッ」
 こらえきれず、ラジュリーズが吹き出してしまう。
 背中に目がついているかのようにロンジェルツが振り返り、ギロリと二人を睨みつけた。レオノアーヌはあさっての方向を向いて知らんぷりをしている。
「野良犬の臭気が伝染ったようだな? ラジュリーズ卿」
 ロンジェルツは冷ややかに言った。
「たった今王都からの伝令が届いたが、実に興味深い内容だったぞ。どこぞの騎士隊の隊長が、王国の裏切り者を拘束すべく密命を帯びて飛び回っているらしいな。しかもあろうことか、その者は裏切り者と共に姿を消し、行方が知れないそうだ。」
 その言葉を耳にし、レオノアーヌがラジュリーズの顔をちらりと見る。
「王都では、魔にたぶらかされミイラ取りがミイラになったのではなどと、下らん噂が飛び交っているようだが……貴殿の意見を聞きたいものだな。ラジュリーズ卿」
「そのような流言に耳を貸すなど、全くもってらしくありませんな。ロンジェルツ殿」
 ラジュリーズは殊更にうやうやしい態度を崩そうとせず、整った顔に優雅な笑みを浮かべてみせた。
「仮にその話事実ならば、姿を消した隊長とやらには同情を禁じ得ない………。我らは救国の英雄を窮地より救い出す誉れ高き任務に従事しておる身なれば。フゥ」
 いかにも同情するといった風情で大袈裟に溜め息をつくラジュリーズに、ロンジェルツがほう、と眉をあげる。
「救い出す──────? 卿はそう言うのか? 其の者にはまだ救い出せる余地があると?」
 ロンジェルツはミュゼルワールの収容された天幕を透かし見るように眺めた。
「もちろん」
 ラジュリーズはこの上なく優雅な身振りで騎士の礼を施した。
「王の先槍たる貴公ならばお分かりになりましょう。其の者を今失う事が、真に王国の為になるや否や─────」
「判断を誤ったとなれば如何する?」
「この身をもってしても、全てを食い止める覚悟にて………」
「フン、」
 ロンジェルツはラジュリーズに背を向けると、心底忌々しいといった口調で告げた。


「ならば、夜の明けきらぬうちにこの地を離れられよ。我らは王命により、失踪した件の隊長とやらを捜さねばならぬ。できれば我らの目の届かぬ僻地に身を置いてほしいものだな…、夜陰の瘴気に惑わされ、間違って矢を射かけぬとも限らんからな。」


 言い終わると、ロンジェルツは振り向きもせず、堂々とした足取りで天幕を後にした。








「なんだかなぁ………狐とガラガラ蛇の化かし合いってぇの? あんたら貴族は挨拶代わりにいっつもああやってハラん中探りあってんのか?」
 鉄羊騎士隊の駐屯地を後にし、山道を北西に登りながらレオノアーヌが呆れたように声を上げた。
 ガラガラ蛇とは言い得て妙だとラジュリーズは内心思ったが、それには触れず、
「まぁそう言うな。駐屯してるのが鉄羊騎士隊でむしろよかったさ。アルタナ信仰の原理主義者にかかれば、オレもこいつも只では済まんだろうよ。」
 肩に担ぎ上げたミュゼルワールを見上げながら、のんびりと言う。
「俺もこいつも、か─────。裏切り者を拘束すべく、密命を帯びて動いてるだと? 俺ぁそんなこた聞いちゃいねぇぞ?」
 レオノアーヌはラジュリーズの背をどんと突いた。ラジュリーズが立ち止まる。
「どういうつもりだ。それが事実なら、なぜまっすぐサンドに戻らねぇ? ダンナの今取ってる行動は命令違反ってことになるな…、なんでてめぇの立場をヤバくしてまでこんな奴に肩入れすんだよ。」
 ラジュリーズは肩をすくめた。
「言ったろ。オレにはこいつを今失うことが王都の為になるとは思えねえんだ。」
「あんた最初からそのつもりだったんだな…。だからてめぇの部下を一人も連れてこなかったのか………」
「まぁな。」
 素っ気なく頷くラジュリーズに、レオノアーヌは頭を抱えた。
「冗談じゃねぇ、俺ぁゴメンだぜ…。異端審問にかけられてボストーニュで一生日の目を見れずに過ごすなんざ………」
「だったらどうする? お前だけ王都に戻るか? 例の黒い化けモンは、ミュゼルワールだけでなくなぜかお前にもご執心のようだがな。ミュゼルワールが王都で処刑されたら、次にあの化けモンに追い回されんのはお前になるんだろうなぁ。可哀相になぁ。」
「………、くっそ、」
 レオノアーヌは悔しそうに唇を歪めた。
「──────てめェ後でぜってぇ泣かしてやっからな!! 覚えとけッ」
「はっは、そりゃ楽しみだ」





*         *         *






 四方を壁に囲まれた光の差さないその場所で、時間の感覚を失ってから随分たつ。


 黒と灰色の入り交じるごつごつとした床や壁は、石造りのようでいて、どこにも継ぎ目がなく、巨大な鎚で強引に削り出したかのような荒々しい凹凸をそこここに見せている。ミュゼルワールの縛り付けられた柱も同じ素材でできているようで、密着した背から体温が伝わっているはずなのに、いつまでもヒヤリと冷たい。両足を投げ出した床も同様だった。
 ミュゼルワールは床に腰を落とし、足を前に投げ出した状態で柱に繋がれていた。両腕は後ろ手に縛り上げられている。足は縛られてはいないが、足先の届く範囲には何もない。


 どうやら寒冷地らしく、辺りは肌に食い込むような冷気に包まれていたが、ミュゼルワールの剥き出しの上半身はその冷気を感じる余裕すらなく、──────熱い。目眩がするほど熱い。
 肩の創傷が原因なのは分かっていた。何の治療も施されずに放置された裂傷が、………ひどく膿んでいる。全身が熱を持つ。重く締め付けるような痛みが、繰り返し襲ってくる。息をつめて堪え、ほんの少し痛みが引いた時にようやく震える息を吐く。口の中がカラカラに乾いている──────水。水。水が飲みたい。
 早急な処置が施されることのない限り、左腕は諦めざるを得ないだろう。このまま化膿が進み、万一壊死が広がれば、腕ごと切り落とさざるを得なくなる。身体の一部を失うのは怖くないが、もう二度と前線には立てまい。
 そんなことよりこの熱だ──────朦朧としてまともにものを考える事ができない。自分の置かれた状況すら、時々分からなくなる。失いかけた意識が、何度も痛みに引き戻された。
 誰かが──────おそらくはあの時襲ってきた奴らが、自分をここに閉じ込めているのであろうが、目的が分からなかった。最初にミュゼルワールが意識を取り戻してからだいぶ経つはずなのに、姿を見せた者はいない。もし王国軍に対する人質として捕えたのであれば、捕えた者の階級くらいは確認するのではないか? ………それとも、改めて確認するまでもなく、こちらの編成は筒抜けだとでもいうのだろうか。


 ふっ、と、熱に火照るミュゼルワールの削げた頬に、ひんやりとしたものがかすかに触れてすぐに消えた。目を開く、ミュゼルワールの熱に歪む視界に、白い光が幻のように宙を舞い、そこかしこに当たっては溶けるように消えていく。


(雪………?)


 密室ではなかったらしい。振り仰ぐと、はるかな高みにぽっかりと切り取られたような四角い空間、周囲の黒灰色の壁と完全に同化して見えたのは、それまで天候が闇だったせいか。
(闇、に……雪………、ここはザルカバードなのか…?)
 ふわりふわりと顔のそこここに当たっては消える雪の冷たさが、ほんの少しだけ、拡散しようとするミュゼルワールの意識を繋ぎ止めてくれた。
(ザルカ…バードに……こんな建造物はあったか? オーク山岳部隊の拠点はウルガランに点在してるが、こんな感じじゃない、こんな風に、生命の存在を真っ向から否定するような雰囲気では──────)
 オークとの戦闘中に突如現れた謎の部隊。
 ここは彼らの拠点なのだろうか。
(一体何が起きてるってんだ、クソッ………)
 肩の傷がずくりと疼く、そして思い出す。
 この傷に牙を立て、うまそうに血をすすっていた黒い魔物──────


 こ の 熱 は 、 ほ ん と う に 肩 の 傷 が 原 因 な の か ?


 不意にわき上がった疑問を、瞬時に理性が否定する。それ以外有り得ないではないか。負傷するのは初めてではない。敵の捕虜となるのも初めてではない。熱に浮かされるからこそまともな判断ができないのだ。
 ミュゼルワールは瞳を閉じた。眠れないのは分かっている、しかし、今は少しでも体力を温存しなければならない。
 ちらちらと舞っていた雪はいつのまにかやんでいた。








 それからさらに、一日余が過ぎた。
 絶望的なまでに、周囲の状況に何一つ変化は見られなかった。


 今、外には妖霧がたちこめている。毒素を孕んだような暗紫色の霞が、薄くなり時には濃くなり、渦を巻きながらミュゼルワールの身体の上に降り注ぐ。


 この数刻の間に、ミュゼルワールの症状には急激な変異が顕われ始めていた。


 左腕全体が醜く腫れ上がり、赤黒く変色した肩の創傷部位周辺からは、にごった漿液が、ただれた肉の裂け目からにじみ出している。
 膿汁というよりは腐った肉汁に近い漿液は、組織の崩壊したどす黒い皮膚の上を流れ落ち、すさまじい腐敗臭を放った。


 激烈な筋組織の破壊が計り知れない程の激痛をもたらす。壊死が急速に進み、放っておけば患部の切断だけでは済まなくなる。
 細菌感染によるガス壊疽──────、泥だらけの戦場で負った創傷から発症し、腕を足を、そして命を失った兵士をミュゼルワールは数えきれない程その目で見てきた。


 はぁっ………、…はぁッ…………、
 喉がヒリヒリと焼けつくように熱い。
(……ク…ソ、ッ……)
 後頭部を後ろの柱に打ち付ける、しかし何も感じない。感覚が麻痺しているのか、いや、どこがどこの痛みとも分からなくなっているのか。全身が軋むような音をたてる。
 ──────熱い。熱い。熱い。
 片膝を立て、背中を柱に預けたまま、ミュゼルワールは首を仰け反らせ大きく喘いだ。やけにふくれあがったように感じる舌、乾いた皮膚はあちこちで裂け、げっそりとこけた頬に汚れた髪がへばりつく。


「…グ、ッう………」
 食いしばった歯の間から不規則に息が洩れる。


 身体の左半分が業火に晒されているかのようだ…、生きながら焼かれる肩が、腕が、崩れた肉の間から腐った汁を垂れ流しながらぐずぐずと音を立てて崩壊していく。


(畜…生………、……畜生──────…)


 心拍数が異常に増加し、苦痛と熱に揺さぶられ続けるミュゼルワールの意識は、遠のいては覚醒し、かすれては引き戻され、──────正気を保っていられるのもあとわずかだろう。


(…水…のみてェ………)


 ほんの一口、喉を潤すそれがあれば、どんなに癒されるだろうか──────
 ふっとそう思った刹那、激烈な痛みでわずかに遠のいていた喉の乾きが急激に加速し、ギリギリと全身を締めつけはじめた。


 唐突にミュゼルワールの左腕がずるりと音を立てると、崩壊した肉の塊が糸を引きながら床の上に腐り落ちた。剥き出しになった白い上腕骨を呆然と眺めていると、地に落ちた腐肉がぶるぶると震えているのに気付く。ぼたぼたと後を追うように左腕の肉が次々と剥がれ落ち、床一面が腐汁をあふれさせる肉塊で埋め尽くされた。
 ミュゼルワールは声を放った。


「!!………」
 自らの声で正気に返る。
 ミュゼルワールは目を見開いた。
 妖霧に包まれた周囲はしんと静まり返り、自分の吐く荒い呼気だけが響いている。
 ミュゼルワールは自分の左肩を見下ろした。
 腕はまだそこにある………、まるで自分の身体とも思えぬ程に醜く変わり果てているが、まだ確かにそこにある。


 幻覚──────か。
 ミュゼルワールは血がにじむほどきつく唇を噛みしめた。








 ふと、何かが視界をゆっくりと横切ったような気がする。
 目を開けてはいても、その瞳に映るものを正確に認識する事はすでに不可能だった。
 誰かがいるのだろうか?
 おそらく人ではないであろう誰かが。


「……み………ず、…よ………こ…せ………」
 ミュゼルワールは、ほとんど無意識に声を放った。ひどく血のにじむ喉はかすれ、まともに言葉を紡ぐことができない。


 なにものからも反応は返ってこなかった。
 これも幻覚かと、思ったその時、


【水か──────。水などいくら飲んだ所で、その乾き癒されはしないぞ。】
 はっきりと声がした。


 ミュゼルワールにはその言葉の意味を理解する事はできなかった。だが、その声の持ち主は、それには構わず、
【辛いか。楽にしてやろう。………口を開けるがよい】
 つと、のばされる腕──────何者かの手が震えるミュゼルワールの髪を掴み、顔をぐいと上向かせた。
 干からびた唇に、何かがあてがわれる。
 霞み、ひどくぼやける視界に、目を開いてはいてもそれがなんなのかミュゼルワールには理解できなかった。ただ分かるのは、あてがわれた何かから溢れては滴り落ちるとろりとしたもの………喉に直接流れ込んでくるそれに激しくむせかえり、ミュゼルワールは顔をそむけようともがいた。だが、ミュゼルワールの頭を掴んだ手はそれを許さず、さらに上を向かせると、抗う口を無理矢理押し開き、あたたかい何かをしたたらせるものを強引に押し込んだ。


「ぐうぅうッ─────ゥグ……」


 次々溢れくるその液体は、舌の上に乗るとまるで吸い込まれるように溶けていく。味など分からなかった。しかし、ごくりと嚥下して、初めて気付いた。
 自分の、ひび割れ乾いた身体が、細胞のひとつひとつが、まるで待ち構えていたかのように、たちまちそれを吸い尽くしていく。狂おしいまでにそれを欲し、わなないている──────。
 身体がカッと熱くなった。
 ミュゼルワールは口の中にあるそれにむしゃぶりつくと、夢中になってその滴りを貪り吸った。


「……っく、…はぁッ………」
 ようやく──────
 狂おしい程の乾きが収まり、嘘のように満たされた身体に、ミュゼルワールは唇を離すと大きく息をつき背を柱に預けた。
【クク……】
 黒い影はミュゼルワールの髪を離し、二、三歩後ろへ退くと、床にうずくまるミュゼルワールの全身をじっくりと見下ろした。
 気のせいか、痛みまでも幾分やわらいだ気がする──────ミュゼルワールは急速に暗く広がってゆく心地の良い闇に、抵抗する術もなく眠りに落ちていった。


【なるほど…趣向としては面白いが、─────しかしこの者。誠に其方の言う儀式の役に立つものか? ノスフェラトゥ卿】
 すうっと、闇が集まり、一体のデーモンの形をなしていく。ミュゼルワールの姿を満足そうに眺めていたノスフェラトゥは、その声にゆったりと振り返った。
【そう思われるのも無理からぬこと…。まずは我が手腕ご照覧あれ、公爵】
【話だけ聞けば、随分と荒唐無稽な案に思えるが………。しかし、数千年は生きるという、闇の純血種たる其方の言。まずはお手並み拝見といこう】
【有り難き御言葉にて………。】
 うやうやしく一礼するノスフェラトゥの右手には、つい先程雪原で屠ったばかりの、人間の身体から引きちぎった腕が握られていた。


 ミュゼルワールに吸い尽くされ、もはや一滴の血も流さぬその死体の欠片を、ノスフェラトゥは棒切れでも扱うように無造作に床に放った。





*         *         *






 メシューム湖畔。
 東ロンフォールへと通じる南西の湖畔ではなく、ブンカール浦最北の出口からジャグナー森林に出て、北西に進んだ先にある、北の湖畔である。
 巨大な岩や倒木に遮られ、チョコボどころか徒歩ですら進むのが困難な一角を抜けると、それまであちこちに徘徊していたモンスターの姿が嘘のように消える。
 湖の真北にホワイトオークの見事な巨木があり、その下に三人はキャンプを張っていた。
 力なく昏睡したまま、やわらかな下草の広がる木陰に横たえられたミュゼルワール。
 少し離れた別の木の下で、幹にもたれかかり仮眠を取っているレオノアーヌ。
 朝、5時45分を過ぎた辺りである。
 ラジュリーズは湖畔の岩の上にあぐらをかき、一人釣り糸をたれていた。
 事前に食料の準備はもちろんしてきているが、思ったよりも長期の任務になりそうだ。そもそも当初受けた任務とは趣が異なってきている今、いざという時の為に保存のきく食料は後回しにしたほうがいい。
 釣り糸とミノーは持参だが、釣り竿は器用に生木を削りその場で自作した。
 適当に足元の岩場の窪みを利用した即席の生け簀には、シュヴァルサーモンが一匹と、ヒカリマスが二匹。
 脳裏では様々な思惑が駆け巡っているのであろうが、泰然としたラジュリーズの表情からはそれを窺い知る事はできない。


 仮眠を取っていたレオノアーヌの頭ががくりと落ち、弾みで目が覚めた。
「んあぁ〜…」
 座ったまま大きくのびをする。まともに寝たのは一時間にも満たないが、疲労は完全に抜け、すっきりとした頭が心地よい。
 起き上がり、肩をぐるんぐるんと回していたレオノアーヌは、ラジュリーズの姿がそこにないのに気付き周囲を見回した。


 遠くの湖畔におぼろげに人影が見える。


 朝もやにけむる湖畔はしんと静まり返り、鳥の声すらしない。レオノアーヌの草を踏む足音は、振り返らなくてもラジュリーズの耳に届いていた。


「あんた貴族のくせに釣りとかすんだな。」
「オレは深窓の令嬢じゃねえぜ? 釣りくらいすんだろよ。」
「食うに困る訳でもなかろうに………。キャッチ&リリースとかさ、貴族趣味のお遊びで釣りする奴俺キライなんだよねぇ。」
「どんな釣りならいいんだよ。」
「そりゃ腹満たすためだろ?」
 ラジュリーズの隣にしゃがみ込み、頬杖をついたレオノアーヌは、生け簀のシュヴァルサーモンをちらりと見下ろした。
「うまそ。バター焼きにすっか」
「お前料理番決定な。」
「なんでだよ。釣った奴が責任持ちやがれ」
 チャポン、不意に水音を立てて、ミノーが深く水中に沈んだ。
「─────ん?」
 ギリギリッと、釣り糸が張りつめた音を立てる。水面に瞬く間にさざ波が広がっていく。
「キタキタキタァッ!! でけぇの来やがった!!」
 歓声をあげるレオノアーヌに、ラジュリーズは竿をあやつりながら、
「やっべ、竿もちそーにねぇぞ?」
「ぜって逃がすなよダンナ!? そいつは俺が食う!!」
「お前にだけはやらねぇ!!」
 固すぎず柔らかすぎず、ラジュリーズお手製の竿は絶妙のしなりを見せていたが、いかんせん獲物の振りが強すぎる。糸が切れるのが先か、竿が折れるのが先か、
 ──────それにしても、ラジュリーズの力をもってしてもおいそれと従わないこの魚はどれだけの怪力の持ち主なのだろうか?
「やべえっ!! 竿やべえって!!」
「ここまで来て逃がすなよてめぇ!! ──────見えやがった!!」
 バシャッ、………
 すさまじい水飛沫が上がり、湖面に一瞬身を躍らせたその魚を、レオノアーヌは呆気に取られて眺めた。
「な!? ……んだありゃ…」
「やべぇっ、折れるッ、てめぇもなんとかしろレオノアーヌ!!」
「おう! まかせなッ」
 呆気にとられたのは一瞬で、レオノアーヌは素早く鎧を脱ぎ捨てると、短剣を抜き放ち湖面にダイブした。
「って肉弾戦に持ち込む気かよ!!」
 レオノアーヌが魚の背に飛び乗るのと、ラジュリーズの竿が音を立てて弾け飛ぶのが同時だった。
 でかい、──────何度も湖面に現れるその姿は、全容こそはっきりしないがとんでもなくでかい。ガチで格闘しているらしいレオノアーヌが、魚の背にくらいついたまま何度も水中に引きずり込まれる。
 ラジュリーズは矢筒から矢を引き抜くと、弓を引き絞り狙いを定めた。
 狙いはひとつ、──────
 鋭く空を引き裂いた矢は、湖面に跳ね上がった魚の目を見事に射抜いた。
 ドウッ、派手な音を立てて巨大な体が水面に叩き付けられる。
 レオノアーヌの短剣が魚の頸部をざっくりと切り裂いた。
 巨大な魚はひとしきり暴れた後、ようやく白い腹を水面に浮かせ動かなくなった。








「……で、なんなのこの魚」
 ポタポタと全身からしたたり落ちる水滴を、犬のように身体を震わせて弾き飛ばしたレオノアーヌが、右手で魚の口の端を掴んだままずるずると引きずり陸に上がってくる。
 水中でこそ浮力でどうにか引き回すこともできたその魚であったが、巨大な体が完全に水辺から離れると、地に根でも生えたかのように重く、全く動かせなくなってしまった。ざっとみても二百イルム、いやもっとあるか──────?
 ぼってりと丸い頭、ぬらぬらと光る暗褐色の表皮、くびれのないずん胴の体。例えるなら呆れる程巨大化したウナギもどきといったところか。
「…やべぇなぁ。これアバイアじゃねぇか? 伝説の魚釣っちまったぜ。」
 ラジュリーズの言葉に、レオノアーヌは無邪気な笑みをひらめかせた。
「なぁ、これ食えんの?」
「って食う気かよ!?」
「あったりまえじゃん。言ったろ? 俺ぁお遊びで釣りする奴ぁキライなんだ。」
 レオノアーヌは短剣を逆手に持つと、どう捌くかというように魚の巨大な腹をぱしぱしと叩き始めた。








 朝食は魚料理のオンパレードとなった。サーモンのムニエル、マスの塩焼き、スパイスをきかせ豪快に焼いたアバイアの分厚いステーキ。ほぐしたアバイアの切り身を胡桃と乾燥マージョラムと共に香草でくるみ、岩塩に包んで蒸し焼きにしたオリジナル料理。黒パン、ストーンチーズ、デザートにドライベリー。飲み物はサンドリアティーと、料理酒用のグレープジュース………有り体に言えばワインまであった。
「うめえじゃ……ねぇかよ……見かけによらず」
 相当な大食漢なのか、ラジュリーズがものすごい勢いで料理をたいらげながら言う。
「ったりめーじゃん、俺はこう見えて器用なんだぜ?」
 ラジュリーズに負けじと大飯をかっくらいながら、レオノアーヌがニヤリと笑う。
「お前の料理のこと言ったんじゃねぇよ、アバイアが意外といけるっつったんだ。」
「んだと、生意気なこと抜かす奴にはこれはくれてやらん」
 レオノアーヌがラジュリーズの目の前に置かれたワインをかっさらう。
「あにすんだ」
「何だよ」
 睨み合いながらも料理を口に運ぶ手は止まらない。
 朝日が梢の間を縫って辺り一面に差し込んでくる。いつの間にか鳥の声があちこちで響いている。
 朝もやは晴れ、暑い一日になりそうだった。








 さすがに腹がくちくなってきたレオノアーヌが、ワインを片手にごろりとその場に横になった。
「……ねみぃ」
「食ってすぐ寝んじゃねぇよ。」
「いいじゃねぇかよ。俺一時間しか寝てねぇんだぜ? 後片付けヨロシク〜。」
 ひらひらと手を振ったレオノアーヌが、瞼を閉じる。本当に寝てしまったようだ。
 ラジュリーズはサンドリアティーを一口飲むと、ドライベリーをかじりながらのんびりと口を開いた。
「………お前も食うか?」


 その言葉は眠り込んでしまったレオノアーヌに発したものではなかった。
 ラジュリーズはカップの中で揺れるサンドリアティーの黄金色の輪を見つめている。
「人間の食いモンだって必要だろ? ──────お前がまだ、人間だってんなら」


「………」
 ゆっくりと、身を起こしたミュゼルワールは、離れた場所で朝日を浴びているラジュリーズを目を細め睨みつけた。





ラジュリーズ
illustrated by Kyo@Studio D-Crew